ヨコシマ

これがぼくの愛、これがぼくの心臓の音/双極性障害・パニック障害/20190602💍病気ながらも旦那さんが大好きな日記

私が中綿くたびれクッション女なこと

シマヨウコです。
一昨日のあまりのダメダメっぷり(https://w-border.hateblo.jp/entry/2019/06/18/132547)(引用のやりかたがわからない)から、一部始終を見ていた職場の友人より「いきて」というメッセージとともにローソンの500円クーポンがLINEで送られてきました。
カラオケに誘ってくれた友人といい(彼女はたぶん、純粋に自分がカラオケに行きたかっただけだとは思いますが)、旦那さんの他にも私を気にかけ、心配し、大事にしてくれようとする人間がいる。ありがたいことです。

私は今でこそ正社員として働いていますが、22でパニック障害が発症して2年半〜3年ほど、全く働けずにいた時期がありました。
今でもときどきそんな状態になることがあるのですが、眩暈と動悸と脱力感でまったく動けず、まるで中綿のくたびれたクッションのように布団と同化したまま、ご飯はおろかトイレにすら行けず一日を終える……そんな生活が半年くらい続きました。少しずつ少しずつ、外に出て買い物を楽しんだり、おいしいものを食べてみたり、遠出をしたり、趣味を楽しんだり、一泊旅行をしてみたり、ボランティア活動のようなことに挑戦してみたり、リハビリをしてきました。
幸い、溜まっていた有給を使い切って会社を辞める直前まで出社せずともお給金を頂くことができ、仕事をやめてからも傷病手当金と少しだけの貯金があったので、なんとか家も失わず、文明の恩恵を受けながら生き延びることができました。

周囲の理解があったことも、とても有難かったです。家族・恋人・友人・親族・社会で当たり前に働くことのできる人から受け容れられず、余計に鬱を酷くしてしまった友人が、私の周りにもたくさんいます。

「社会にも家にも居場所がない」
「調子が良かったので〇〇をしてみた。〇〇ができるのにどうして▲▲はできないの、〇〇がができるんならサボらず毎日やってよね、と親に言われた。私にとっては、小さな達成だったのに」

SNSで、あるいは対面でそういう話を聞くと、私はもう悔しくて腹が立ってしょうがなくなります。私は双極性障害であるのからなのか、はたまた元来の性質であるのか定かではないのですが、とにかく根気がなく、飽きっぽく自由気まま気まぐれ女です。どんなに自分が鬱っぽく、自分のことではズベズベのベロベロ・中綿くたびれクッション女になっていたとしてと、ひとたび友人の楽しい話を聞けば泣いて喜び、悲しい話を聞けば話した相手が半ばひくレベルで怒り狂う、ティファールのような沸点のテンションの人間と化します。
みんなはこの理不尽であまりに思いやりと想像力に欠けたこの言動に、怒ったり悔しがったりするエネルギーも自己肯定感もすり減り切っているから。だから私が怒ります。
もうめちゃくちゃに人の親のことをボロクソに言いいますし、彼氏だったら「別れろ別れろ別れろ別れろそんな男!!!!!ろくなやつじゃねーぞ!!!!!」と思春期の娘の父親のようなテンションになります。全くのシラフで。

そう、私はさながらバーサーカー

結局正社員になってから、躁期と鬱期を繰り返しながらも最終的には鳴きまくったあとキレ散らかし、同期に不幸があればキレ散らかし、逆にいいことあれば私もゴキゲンで一日を終えます。

これは共感性が高いといえるのか。
むしろ、私の病名は双極性障害ではなく、異常なまでの共感性の高さからくる、過度共感性自我確立障害みたいなやつではないのか。そんな病気があったりしないか。

人が辛い思いをして泣いていたり、理不尽に恥ずかしい思いをしたり、辛いニュースがあるとその日一日体調が悪かったり、心が重かったりします。一方で、ハッピーやラッキーを見つけるのが上手ないわゆるアゲ人間と一緒にいるととても精神が安定します。
中綿くたびれぐだぐだクッション女の私。心の洗濯が上手な人間と相性がいいのは、考えてみれば至極当たり前なのかもしれません。



シマヨウコ